大阪大学大学院薬学研究科 分子生物学分野


ヒトのiPS細胞を使った、
肝臓や小腸、アデノウイルスに関する世界レベルの研究が、
創薬研究・開発、遺伝子治療、再生医療に大きく貢献。


肝毒性で姿を消した
トログリタゾンという薬


 1995年頃、新薬の開発には15年・1000イ意円が必要といわれていた。
 1995年9月、トログリタゾン(チアソリジン系経口血糖降下剤)が日本で承認された。その後、1997年9月に日本国内で発売。同年米国でも承認を受け発売される。
 この薬は、服用しても2週間ほどの期間は効果が現れず、それを過ぎると血糖値がスーと下がるという特徴をもっていた。インシュリンを叩き出すと表現するほどの効果があり、米国では臨床試験段階から注目を集めた薬だ。
 発売されると売上げを伸ばし、発売した1997年の売上は約4か月で40億円にも達し、そのうち約80%が米国での売上げだった。
 この薬の登場はII型糖尿病患者には朗報だったが肝障害で亡くなる人が現れる。劇的な効果が期待される新薬だったため多くの患者に投与され、臨床開発段階では発見できなかった副作用が発現した。日本人で約5万人に1人、米国では1万人に1人の確率で重篤な副作用が生じた。これにより卜ログリタゾンは2000年に日本と米国の市場から撤退し、製薬企業には莫大な損失を残した。

「早期に薬の毒性を確認したい」
製薬企業の切実な願いを実現


 水口先生は、「私たちはヒトのiPS細胞を使って、とくに肝臓と小腸にフォーカスした研究を行っています。私たちが薬を飲むと肝臓で代謝されます。開発中の薬に肝毒性があれば、治験途中でドロップアウトする原因になります。卜ログリタゾンは、世界初の経口血糖降下剤であり、肝毒性でドロップアウトした代表的な薬です。製薬メーカーには、薬になる前に毒性の有無を確認したいというニーズがあります。しかしヒトの肝臓細胞の入手は輸入に頼っており、ロットに限りもあるため極めて高価です。
 そこでヒトのiPS細胞からヒトの肝臓細胞をつくる研究をしてきました。iPS細胞を使えば無限につくることができますし、日本人の細胞、個人差に応じた肝臓を用意することができます。10数年前にiPS細胞の研究を始めた頃は、肝臓の細胞を効率よく分化誘導する技術が確立されておらず、その技術開発を行いながら肝臓の細胞を使った毒性評価法の開発も並行して行ってきました」という。
 開発中の新薬は肝毒性が確認されると承認が得られない。そのため製薬メーカーは、肝毒性をできるだけ早期に確認して研究・開発の続行・撤退を判断し、可能性のある薬に集中したい。動物実験は種差があり、業は肝臓に存在する薬物代謝酵素によって主に代謝されるため、ヒトでしか起こらない毒性をみなければ正確な評価ができない。また安定的なヒト肝臓細胞の供給や再現性のある評価も必要だ。
 水口先生の研究は、これら製薬メーカーの待望に応える研究といえる。しかも低コストで医薬品の毒性試験が可能な「評価系の構築亅に取り組んでおり、製薬業界から熱い注目が寄せられている。
 「肝臓細胞の創薬への応用を目的とする研究」は、私たちの研究室が最も進んでいるのではないでしょうか。さらに人で起こる毒性をより正確にテストできる毒性評価系の構築をめざして研究しています」と水口先生。

ヒトのiPS細胞で
小腸上皮細胞の作成に成功


 続いて小腸に関する研究について聞いた。
 経口薬は小腸で吸収され肝臓を経て全身に送られます。まず薬は小腸の壁を通過しなければなりません。小腸には薬物代謝酵素があります。
 小腸は薬の吸収・代謝に重要な働きをしますが、ヒトの小腸を研究用に入手することはできません。そのためこれまでは大腸がん由来で小腸様の性質をもつがん細胞を使って研究が行われてきました。しかし小腸がもつ薬物代謝酵素の発現がないなどの問題があります。
 そこで私たちは、iPS細胞を小腸に分化誘導して評価に使うことができないか。経口投与薬の小腸における吸収・代謝を評価する系ができるだろうと考えました」と水口先生。
 水口先生の研究グループは、ヒトのiPS細胞を使って小腸の上皮細胞の作製に成功。現在も小腸の分化誘導技術の開発と薬の研究開発に向けた研究が続けられている。
 小腸の発生過程を参考にiPS細胞から、小腸上皮細胞への分化を促す増殖因子や化合物のスクリーニングを行った。ヒトのiPS細胞から胃や腸などのもとになる細胞を作成し、8種類の物質を組み合わせて培養液に加えた。
 これにより90%以上の効率で小腸上皮細胞の作製に成功したのである。さらに小腸の微絨毛構造を観察し、医薬品の吸収・代謝に重要な役割をもつ分子の機能を備えていることも確認した。これらの研究からヒトiPS細胞由来の小腸シートが完成する。
 この小腸シートで医薬品の効果試験を行うことができ、医薬品の消化管吸収・代謝予測モデルと創薬支援ツールとしても注目を集めている。
 この研究成果は、共同研究したバイオ大手企業から世界初の製品として世に出されている。

ウイルス自体を薬に、
遺伝子を薬にする研究


 水口先生が行うもう一つの大きな研究にアデノウイルスを使った遺伝子治療やがんに対するウイルス療法、あるいはワクチン開発がある。
 「世界での遺伝子治療の研究は30年くらい前から始まったのですが、ようやく薬として認められるようになりしまた。この流れが世界的な傾向になっており、各製薬メーカーはこれを必死に研究しています。
 新型コロナウイルスに対するワクチン開発を欧米や中国の企業が進めていますが、いずれもアデノウイルスを使った研究が先行しています。アデノウイルス遺伝子の中に新型コロナウイルスの抗原遺伝子を入れて発現させる方法です。アデノウイルスは、大量のウイルスが取れて、効率よく外来遺伝子を発現させることができるからです。
 遺伝子治療薬やウイルス製剤は遺伝子やウイルスそのものが薬になります。薬学がやるべき学問領域ですね」と水口先生は話す。
 水口先生は、遺伝子導入効率が高いアデノウイルスベクターの長所を生かして、様々な機能をもつアデノウィルスベクターを簡単に作成する技術を世界で初めて開発した。この研究成果も、市販化や共同研究を通して国内外の研究者に広く活用されている。

世界のトップを走る研究者を
養成するための教育改革


 水口先生の研究室では、世界レベルの高度な研究が行われている。この研究室に学部3年次で配属になると、まず細胞培養の技術や遺伝子工学、動物実験、ウイルスを使った実験など基本的なことを学んでから研究活動に入っていくという。
 水口先生は「大阪大学薬学部は新全6年制になりましたが、研究者の養成に最も力をいれています。薬剤師資格をもつ博士の養成をめざして、カリキュラムを変更し、病院実習や薬局実習の時期も変えて研究に集中できる環境を作りました。病院で薬が使われる状況に触れ、臨床現場を知る研究者となるでしょう。臨床から新しい何かをつかんで研究室に戻ってきてくれることを期待しています」と話しておられる。
 大阪大学薬学部は全6年制・3コースの構成になったが、それは薬剤師養成だけをめざしたものではない。先進研究コースは大学院との一体化により10年一貫の教育・研究を行う。その中で6年間も連続した研究が行えるシステムを実現した。薬学研究コースは実務実習事前実習を1年先送りすることで3年間の連続した研究を可能にしている。またPharm.Dコースは、大学病院など多くの医療施設と連携して臨床や医療に特化した研究環境を整備した。
 研究者養成を主眼においた教育改革が注目を集めている。大阪大学薬学部から、これまでとは異なる人材(研究者)が排出され、製薬業界の発展に貢献していく可能性がある。

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